005
報告
「アイアス様」蝋燭の灯りを頼りに、報告書の記入を進めていたアイアスは掛けられた声に手を止めた。
作業用のデスクには、まだ手を付けられていない報告書が幾分か残っている。この都市を任される身として仕方ないとはいえ、毎日の訓練と出撃に執務と、この仕事量には参ってしまいそうだ、とアイアスは思う。そんな多忙な仕事の一つに、部下の報告を聞くというものがある。
「どうした」
アイアスは部下の話を聞く時は必ず作業を止める。それは彼自身の性格面も大きいのだが、それ以上にコミュニケーションを重視しているのだ。コミュニケーションの大前提として彼は、耳を傾ける姿勢を作るという事を徹底していた。
「魔族のものと思われる魔法陣が都市の中で発見されました」
淡々と告げられる報告。その報告を受けてアイアスは、報告者の方へと体を向き直した。
「現在法撃手が調査に当たっていますが詳細は不明。しかし、最近の物である可能性が高く、侵攻の準備段階の可能性が高いかと……」
「分かった。引き続き魔法陣の調査を頼む。都市内部の捜索を強化。魔族を発見次第、ためらわず討て。相手がどんな姿であろうと、だ。徹底させよ」
「はい。……もう一点、アイアス様に会いたいという男が居住区第三エリアの駐屯地を訪ねてきたとの報告が」
報告にアイアスは門前で出会った男の事を思い出す。この場所が危機に瀕すると言っていた男。どこか不思議な雰囲気を纏った男だった。
「それで、その男は?」
「はい……。第三部隊がその、対処したと……」
言葉を濁した態度に、アイアスの眉が微かに動いた。変わらぬ声色で再度問う。
「どのように対処したのだ?」
「……。第三部隊長が直接手合わせを。男に傷を負わせ、追い返したと」
「なんて事を……」
アイアスは額に手を当てる。第三部隊長は以前から要注意対象である事は承知していた。放置していた結果生んでしまった、軍関係者が来訪者を傷つけるという痛ましい事件。
「第三部隊長を呼んでくれ。魔族の捜索と同時に、その訪ねてきた男の捜索手配も頼む。くれぐれも手荒な真似はしないように」
「かしこまりました」
離れていく部下の足音を聞きながら、アイアスは疲れた目がしらを指で軽く揉んだ。同時に、門前で出会った不思議な男を思い出す。一体何者で、何を伝えようとしていたのか。今になってもう少し話を聞いておけばよかったかと後悔する。
「ゼロ……か」
しばらく思考を巡らせていた彼の耳に、新たな足音が届く。
その音はアイアスの部屋の前で止まり、続いて控えめなノックの音が鳴る。
「第三部隊。ライオスでございます」
「入ってくれ」
ライオスと名乗った人物が部屋へと入る。鎧は外しており、その鍛えられた巨躯が蝋燭の灯りに現れる。アイアスの前まで進んだ彼は膝を折り、頭を垂れた。
「アイアス様。この度は私の考えが及ばないばかりに、このような不祥事を巻き起こし、弁解の余地もございません」
部隊長まで上り詰めた男だ。呼ばれた時点で自分の身の振り方はわきまえているようだった。
アイアスはその様子を眺めながら切り出す。
「そのことは問題だが、今はいい。まずは聞こう。何故そのような状況に?」
「はい。ゼロと名乗る男が受付にてアイアス様への面会を希望しておりました。その……あまりに無礼な物言いに醜い感情が湧き上がり、それで、部下を連れて入隊試験と称し訓練所にて手合わせを」
「それで部隊長自らが相手をして傷を負わせたと……」
「いえ……それは」
ライオスの顔が曇る。彼は少し悩んだ後に続けた。
「私はゼロという男に敗北し、激昂しました。その後、部下と共にゼロという男を負かして追い出したのです」
卑劣だ。そうは思ったものの、アイアスは口に出さない。眉が微かに動いてしまったのを感じ、自分もまだ未熟な存在だと自省する。
「なぜ激昂したのか分かるか?」
「分かりません。……自分の技術が通用しなかった事に対する、不安でしょうか」
「不安もあるかもしれない。付け加えるとすればライオス。君はゼロという男をどう評価していた?」
「……侮っていました。実戦であれば取り返しのつかない事です」
「そうか。また学んだなライオス。君が感情的になりやすいのは前から承知している。それは自分の力量を正確に把握出来ていない事による不安と、相手の力量を甘く見積もる傾向故に思う。人は物を見る時、自分の都合の良い解釈をしがちだ。自身の戦力と、敵の力量を見誤る事は自分と、自分の部下を危険にさらす事となる」
「はい」
「処分は追って知らせる。それと今回加わった第三部隊員への処分は君が下せ。徳のない行動は精神を蝕む。その事を自分も含め、再度認識するように」
「かしこまりました」
下がろうとするライオス。アイアスは思い出したように彼を呼び止めた。
「そうだ、最後に。ゼロという男、君の見立てはどうだった?」
問いに、ライオスは一拍の思考をした後、
「負けた身でこのようには言いにくいのですが。身のこなしは中々、ですが普通の範疇でしょう。油断が無ければ負けてはいなかったかと」
彼は真っ直ぐにアイアスを見つめてそう告げた。
「そうか。ありがとう」
もう一度頭を下げ、ライオスが去る。
一人になったアイアスを揺らめく蝋燭の灯りが照らす。部屋に壁に揺らぐアイアスの影が映っていた。