004
餞別と制約
アイアスには駐在の防衛軍が配備され、人類の防衛ラインとして機能している。南西側に広がる魔族テリトリーから溢れてくる魔物の処理と魔族の侵攻を食い止めるのがこの都市の存在理由である。人類の各都市と魔族テリトリーを結ぶ境界に立ち、ここが陥落すれば魔族側は人類各都市への侵攻を可能とする。
その重要拠点の防衛を全うする為、絶対の防衛を目的とした八つの盾を持ち、そのおかげで最前線にも関わらず全都市の中で一番安全と謳われる程の防衛都市だ。
元々軍事目的の都市という事もあり、街中でも軍の駐屯地や訓練所などが各所に設置され、同時に街中の警備も担っている。
その一つ、駐屯地にある入隊希望者の受付にゼロは居た。
「アイアスに会いたいのだが」
「は? あんたいきなり何言ってんだ」
開口一番にそう告げたゼロは受付の男に怪訝な目を向けられる。
「世界の危機なのだ。私は彼と話をしなければならない」
「おい。あんた頭大丈夫か?」
話の通じない相手にゼロは困惑する。
何故分からないのだろうか。門前でもそうだったが、この都市の人間は危機に気が付いていないのだろうか。だとしたら手掛かりが一つもない事となる。
「おい、どうした」
頭を悩ませるゼロと困惑する受付の前に巨体の男が近寄ってきた。門前で見たのと同じ緑の装飾が施された鎧を身に付けている。防衛軍の人間だった。
「部隊長! 実はこちらの方が変な事を言うもので」
「ほう」
部隊長と呼ばれた男はゼロを見る。ゼロは見上げる形で視線を返した。
「アイアスに会いたいのだが」
再度そう繰り返すゼロに部隊長の男は笑う。対するゼロは無表情のままだ。
「確かにこいつはイカれてやがる。おい坊主、アイアス様は忙しい身でな。ガキのお守りならよそを当たりな」
そういうと部隊長の男は踵を返して去ろうとする。その動作をゼロが妨害する。
「大事な用があるのだ。この者より偉いのだろう? 少しは話を聞いても良いと思うが」
「ほう。お前、いい度胸してるじゃねえか」
「お前でもガキでもない。私はゼロという」
改めて向き直る部隊長の男。その口は笑みに歪んでいた。
「いいだろう。アイアス様に会いたいというのならば入隊試験を受けやがれ。おれが直々に見てやるよ」
「入隊試験とやらに合格したらアイアスに会えるのだな?」
「ああ、まずはその無礼な態度を改めさせてやろう!」
「よろしいのですか?」
「ああ。ちょっと頼まれてくれ」
興が乗ったらしく、部隊長の男は受付になにやら申し伝えて駐屯所の中へと入った。
「ちょっとあんた。やめといた方がいいぞ。部隊長は怒らせると見境がなくなるお人だ」
「いや、そういう訳にもいかなくてね」
今の自分には使命がある。その想いからゼロは何としてもアイアスに会わなくてはならない。
「……ここから西に真っ直ぐ行った所に訓練所がある。そこで待っていてくれ」
「ああ、ありがとう」
礼を言い、立ち去るゼロを受付の男が呼び止める。
「おい。……気を付けろよな」
不穏な予感だ。そう感じながらもゼロは指定された訓練所へと向かう。積み重ねてきたモノに対する自負と、与えられた使命を全うする精神が彼を突き動かす。
案内を受けた訓練所は人々の目には映らぬ立地にあった。
簡易的な壁で四方を囲まれた訓練場と、その出入口である軍の建物があるだけの簡易な作りだ。石材のタイルを敷き詰めた場内は足場以外の余計な物を取り除いてある。
そんな場所でしばらく待っていたゼロのもとに、先程の部隊長がやってきた。部下を数人引き連れ、現れた彼はその手に戟を持っている。
「待たせたな小僧」
「毎回呼称が変わるのは語彙力のアピールなのか」
言われても気にする様子もなく、部隊長の男は説明を始めた。
「試験内容は単純明快。俺に勝利する事。ただそれだけだ」
言った部隊長の男は場内中央へと移動し、戟を構えた。そもそも入隊試験で部隊長との勝負とは、なかなか厳しい物があると思うゼロだったが、大人しく従う事とした。
「逃げない度胸は褒めてやるよ」
「それはどうも、とでも言っておこう」
戟を構える男に対し、ゼロは素手で構える。この時点で不利だなどと言うのは聞き入れられないのだろう。
部下のうちの一人が手を高くへと上げた。
「始め!」
合図とともに部隊長の男が突進し、横薙ぎに戟を振るう。リーチの差がありすぎる故、ゼロは回避行動を取る他ない。
「おらおら! そんなんじゃアイアス様に会わせる事は出来んな!」
見切り、躱し、距離を取り、連撃をやり過ごすゼロ。しかし、部隊長ともなる男はスピードも身のこなしも流石と言えるレベルであった。躱した次の瞬間には次の一撃が別方向から迫り、距離を取ればすぐに詰めてくる。
努力を積み重ねてきたゼロだが、その多くは力の使用によるものだ。単純な近接戦闘のプロではない。力を制約されている今は多少戦闘慣れしている程度の者でしかない。それでも、彼の瞳に諦めの色はない。
――右下――左上――左下――突き――
相手の動きを徹底的に観察する。動作、連撃の法則性、体の癖からその者の型を浮き彫りにする。
「ここか」
前へ。一歩を踏み出した。回避に使用していたスピードを利用し、連撃のわずかな隙に踏み込む。
当然、部隊長の男は接近を許しはしない、下がりつつ、戟を引く動作でその脅威をゼロへと差し向ける。しかし、戟の動きはゼロに届く前に止まった。
「くっ!」
戟の柄を掴んだゼロに、息を詰まらせる部隊長の男。表情から瞬時に余裕の色が消える。長の名を冠する彼はそれでも反応する。戟から片手を離し、迎撃の体制を取る。
「この程度!」
ゼロは動く。早い反応を見せる部隊長の男にも動じず、瞬間的に足を地に突き立てて、戟を持つ手を引く。
「――ッ!」
刹那。ほんのわずかに部隊長の男が体勢を崩したところに、ゼロの一撃が突き刺さった。
打撃は彼の意識をほんの少しだけ遠のかせた。すぐに立ち直った彼だが、ゼロにとってはその一瞬で十分だ。
意識を戻した部隊長の男の喉元に戟が突き付けられる。
「これで良いか?」
問うゼロに、部隊長の男は歯ぎしりした。顔がみるみる赤く染まり、額に青筋が生まれる。
「舐めやがってえぇえええ! てめえら! 何見てやがる、この無礼者をぶっ殺せ!」
部隊長の叫びに、部下がゼロを取り囲んだ。総数七名。それぞれが両手で扱う棒状武器を身に付けている。
「……何の真似だ?」
ゼロに構わず、部下の一人を皮切りに、手にした棒で殴りかかる。一人目をいなし、二人目を受け止め、三人目の攻撃でゼロはその場に膝を折った。その隙を他の部隊員が一斉に追い打ちをかける。
「ッ……」
反射的に力を使おうとしたゼロだったが、その力は制約により抑え込まれてしまう。
――自分の為に力を使う事を禁ずる――
自分の身を守る手段が、力が、彼にはなかった。
ゆっくりと歩み寄り、ゼロが落とした戟を拾い上げた部隊長の男が笑う。
「無様だな。まだ試験は終わってねえぜ。餞別だ。受け取りな!」
そのまま既に抵抗出来ないゼロへ、戟の一撃を浴びせた。飛散する鮮血。ゼロは遠のく意識の中で想う。制約の意味を。自分の身を守る術を失った事を自覚し、意識を閉じた。