003

アイアス

 大地がある。どこまでも低く生えた芝が広がり、地平線の果てには尾根が広がる。いくつも小高い丘が立ちならび、大小様々な生物が生息している。その中心に、生物の中でもとりわけ集団での生活を得意とする「人類」の都市があった。
 その都市の立派な防壁の一角に浮かぶ、巨大な扉。その前にゼロは居た。
 彼は転移後にまとわりつく不快な感覚をその身に感じながらも、周囲を観察する。
「……町の、入口だろうか?」
 巨大な扉を見上げて呟く。すると後方から近づく集団があるのに気付く。
 集団は10人余り。地を走る竜を騎竜とし、真っ直ぐと都市へと向かってくる。その途上で、立ち尽くすゼロを見つけた一行は騎竜を止めると、先頭を行く青年が語り掛けてきた。
 全員が装飾の施された鎧を身に付ける一団の中でも、ひと際絢爛さの目立つ鎧を身に付けた男だ。シルバーを基調に右肩、胸当ての部分に翡翠色の宝玉が埋め込まれたプレートが当てられた鎧。鎧に見合う整った顔立ちは覇気を放ち、鋭さの際立つ目は素性の知れないゼロを油断なく射抜いていた。
「そこのお方。私はこの町の守護を任されているアイアスという。貴殿はこのような場所で何をされているか?」
 アイアス。その名を耳にし、ゼロは偶然にしては出来すぎだと判断する。単純に考えればここで出会うよう調整されていると考えるのが妥当だろう。
 騎竜の上の彼を見上げる形でゼロは一歩前へ出て名乗る。
「私はゼロ。この町が危機に瀕していると聞き、助力をする為訪ねてきた」
 右手を胸の前へ、自身の名と目的を端的に伝達する。話によればこの場所は危機に瀕しているという。人手はいくらあっても足りない筈だった。
「危機? 何のことでしょうか」
 言葉に、アイアスは怪訝な表情を返す。少しばかりの思案を要したが、彼の答えはゼロの想像とは全く別のものだった。
「失礼。我々はこの周辺を守る任を受けております。特に御助力を必要とする事態はないと断言致しましょう」
 丁寧な物言いで告げた彼は。後方の隊員達をちらりとみやり、更に続けた。
「見た所、旅のお方のようですが、悪い冗談に騙されたのでしょう。では、我々は急いでおりますので」
 騎竜の手綱を操り、ゼロを迂回して、一行は数秒のうちに門内へと消えてしまう。その後ろ姿を表情なく見つめながら、ゼロはどうしたものかと顎を撫でた。
「とりあえず、中に入ろうか……」
 アイアス達一行を追う形で、彼は歩き出した。


 扉の中には都市が広がっていた。石材と鉄材を組み合わせた建物が立ち並び、外観はレンガ調の物が多い。扉のある広場からメインストリートが中心部へとまっすぐに伸び、通り沿いは店で賑わっている。
「ようこそ、防衛都市アイアスへ! よろしければ目的地への道をご案内しますよ!」
 ゼロは都市の入り口で案内役に声を掛けられる。笑顔を振り撒く明るい女性だった。周囲を確認すると、何人かの彼女と同じような服装の女性が、旅人らしき人物に声を掛けている。彼らは一様に道を尋ねては礼を言って街中へと進んでいた。
「ありがとう。ここアイアスはどういう都市なのだろうか。初めての訪問でね」
「はい! ここアイアスは人類の防衛の要である防衛軍の砦です。アイアス様率いる防衛軍が駐在しており、この都市自体も八つの防壁を備え、要塞として機能するよう設計されています」
「ほう」
 案内役の女性は人差し指を立て、記憶を探っているのか少し上に視線を固定しながら続けた。
「一番、二番の防壁は移動式防御術式であり、都市の周りに広がる平原を駆けまわり、遠距離兵装の防御、敵進行時の陣形の構築に使われるものです。三、四、五の防壁は都市を囲む3重の防壁で、町の中心部を守る≪ドラゴン≫、町の中流地区までを守る≪アイアン≫、一番外側の≪ストーン≫の三種。六、七の防壁はこの町全体を囲む二重の魔力障壁でして。私も詳しくないのですが、柔と剛の特性を持たせることであらゆる攻撃を防ぐとか」
「八番目は?」
 興味本位で問うたゼロに、案内役の女性の目の色が変わる。うっとりとした表情で指を組み、彼女は告げた。
「八番目の要はアイアス様です! アイアス様の居る限り、この都市が落とされる事はあり得ません。武勇、知略の両方に長け、数々の功績を残してきたこの都市……いいえ、この国の英雄です!」
 彼女は興奮した様子だったが、すぐに自身の状況を思い出したようで、咳払いを一つして本来の業務へと舞い戻る。
「失礼しました。改めまして、安心安全の防衛都市アイアスへようこそ! ご案内いたしましょうか?」
「ありがとう。では、宿屋と防衛軍の窓口を教えてくれ」
「あれ、もしかして入隊希望の方ですか?」
「まあ、そんなところだ」
 必要情報を聞き、礼を言うゼロ。では、と立ち去ろうとする案内役の女性を、彼は引き留めた。
「すまない。もう一つ聞きたいのだが、この都市か、もしくは国が今、危機的状況にあるとの噂を耳にしたのだが、何か心当たりはあるか?」
「危機、ですか? アイアス様がいる限りはこの都市には無縁だと思いますが……。そういえば、最近魔物が狂暴化しているみたいですね。今日も防衛軍が討伐に向かった筈ですが」
「そうか。ありがとう」
「それでは!」
 走り去り、次の来訪者へと元気に声を掛ける姿を見るゼロ。
「平和なようだな……」
 危機に瀕している。ゼロを送り出した彼らはそう言っていた。しかし、都市は平和そのものだ。目的が不明瞭で見えない状況である。それでもゼロは動く。
「アイアスに会えと言われたのだ。ひとまず従おう」
 自分の足音のも聞こえぬ都市の喧騒の中、ゼロは街中へと歩みを向けた。活気のある良い都市だ。